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ダンヒルライター過去のコレクション

Alfred Dunhill, Ltd. アルフレッド・ダンヒル社の歴史 ~創業から現在まで~

1872年

アルフレッド・ダンヒル誕生 (1959年没)

アルフレッド・ダンヒル

1887年

イギリスにて、当時15歳のアルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)は、ロンドンで父が働く馬具専門製造卸売業で働くようになる。

アルフレッドは父の商売が時代遅れであると感じ、そのうち自分で新しい商売を新しい方法で始める野心を秘めていた。

1893年

アルフレッド・ダンヒルが21歳の時、父親から家業を受け継ぐ。

馬具商のかたわら Motor Mart というクルマ屋を始めるが、当時のクルマはほとんどなんのアクセサリーも付属せずに売られていたことから、すぐに商売を自動車関連グッズに方向転換。「 Dunhill Motorities 」の誕生である。

自動車が普及することを見越し、自動車旅行用品を多く売り出し売上げを拡大することに成功。

ゴムのマット、ホーン、ライト、ヘルメットやゴーグル、スピードメーターというのが商品だったが、このとき発明したウインド・シールドつきの「ドライブ用パイプ」が後年の喫煙具ビジネスのきっかけになっている。

一早く車を購入した彼の「フランスのド・ディオン」は英国に輸入された三番目の車体であったと言われる。

1893年ダンヒル・モーターズ

1902年

新たに増えた自動車のオーナーと運転手にアクセスしやすいコンドイト・ストリート(Conduit Street)2に、最も成功を収めたモートリティーズの店舗をオープン。

モートリティーズという言葉の意味は、自動車(Motoring)権威(Authorities)を合体させた意味がある。

 

1903年

スイス製のムーブメントを採用したダッシュボード時計を開発。1906年頃にはロールス・ロイスにも採用された。

 

1904年

アルフレッド・ダンヒルは「ウインドシールド・パイプ」を発表。ダンヒル最初のブライヤーパイプ。パイプの前面が立ち上がり風よけの壁を作り込んだシェイプ。

1910年代ダンヒルがパイプ製作をスタートした時点のスタンダード・シェイプ。

 

 

1907年

デューク・ストリート31番地にタバコ・スペシャリストを開業。タバコの知識は皆無だったが、革新的な発想でロンドンのウエストエンドにお洒落な喫煙具屋という、当時では前代未聞の店舗を作り上げた。

1909年、たばこをブレンディングしているアルフレッド・ダンヒル。

1910年

アルフレッド・ダンヒルはチャラタンの工場からジョエル・サシエニを呼び、デュークストリート28番でパイプ製作を始めさせる。そして同年、最初のブライヤーパイプを発売。 「ブルイエール」仕上げが一番最初のダンヒル社のパイプとして作られる。同時にアバウト・スモーク(About Smoke)が作られる。発売時から、当時の高級パイプの倍のプライスが付けられたとされる。

1910年代のダンヒルパイプ製造現場の様子

 

1912年

パイプの吸い口にホワイトスポットが初めてつけられた。カタログには象牙が使われていた記述がある。シェイプ番号が2桁のパイプはごく初期に作られたもの。

ダンヒル パイプ ホワイトスポット

1913年

イギリスにダンヒル初の車「トゥウィーニー(トゥイーニー )」が発表される。この時期からタバコは規制されたため、レザー製品を中心に販売していく。

 

1916年

新工場がノッティングヒルゲート186番地に建てられる。

ノッティングヒルゲート186番地

1917年

パイプで「シェル」作られる。ブライヤーパイプで世界初めてサンドブラスト加工(ブラスト処理を複数回行う技術)をした。以降、サンドブラスト加工したパイプを「シェル」と呼ぶようになった。

ダンヒル パイプ シェル サンドブラスト加工

1920年

パイプでダンヒルはフランスから仕上げ前ボウルの購入を中止。新規ダンヒル工場でエボーションから生産を始めた。

 

1921年

ロイヤルワラント(王室御用達)をプリンスオブウエールズ(エドワード8世・ウインザー候)より授与される。

日本では大阪高麗橋一丁目にあった山中商会が日本代理店となる。

パリのラ・ペ通りのアルフレッド・ダンヒル

 

1923年

シュルツの出資により325,000ポンドの資本金でロンドンに 「Alfred Dunhill Ltd.」 が創立される。

ニューヨークにアルフレッド・ダンヒル店をオープンする。

ニューヨークのアルフレッド・ダンヒル

 

1924年

ニューヨークに 「Alfred Dunhill of London Inc. 」を、その他にトロントとパリにも同様の会社を設立する。パリの店はフランス政府の煙草独占禁止の法令により、喫煙具以外の商品を売っていた。

「ユニークライター」の発売開始。金、銀、エナメルといった贅沢な仕上げはダンヒルにふさわしく高価なライターを提供していた。

『ザ・パイプブック』(The Pipe Book) アルフレッド・ダンヒル著出版。

ダンヒル・ユニークライター

1925年

ココ・シャネルに出会う。シャネルはこの出会いで英国紳士スタイルに目覚め、有名なシャネル・スーツをデザインしたとされる。

ココ・シャネル coco.chanel

1926年

ウォッチライターの販売開始。

美容院・化粧品販売の「Mary Dunhill 」という新たな会社を設立する事を決意、アルフレッドの出資により1934年に実現させる。

メアリー・ダンヒルの当時香水の広告

1930年

ダンヒル・パイプで「ルート(Root Briar)」仕上げが始まる。ストレイトグレインをDR「ディーアール」(デットルートの略)と刻印。DRは1929年まではブルイエール仕上げだった。この年以降「ルート」仕上げになった。

日本では、パリのダンヒルと並木製作所(のちのパイロットコーポレーション)が蒔絵万年筆を共同製作。「ダンヒル・ナミキ」の誕生。

松田権六氏を中心として、蒔絵万年筆の研究・発展・品質向上のために、創作集団「國光會」を結成。

國光會

1933年

松田権六(漆芸で人間国宝第一号になる)が渡英しダンヒルで漆芸の技術指導をする。

松田権六

1936年

ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)とコラボしたウォッチコレクション「ファセット」を発表。 同年、 ハードキャッスルがダンヒル傘下になる。

ダンヒルとジャガールクルトのコラボ・ファセット

1938年

オイルライター「ローラライト」を発表。ロングローラーをスタイリッシュなボディに落とし込んだローラライトは、戦後世界中で大ヒット。

同年、ロイヤルワラント(王室御用達)をジョージ6世より授与される。

Dunhill(ダンヒル)ライターのSquareBoy

1941年

空爆によりデューク通りの店舗が破壊されるという不運に見舞われたが、アルフレッド・ヘンリーは、ダンヒルは24時間以内に事業を再開すると宣言。

その後1949年にシェルツが亡くなる。

1950年

当時、革命的といわれる片手で着火できるガスライター「ローラガスライター」を開発する。

翌年1951年にハーバート・ダンヒルは亡くなる。

 

1953年

パイプで「タンシェル(Tanshell)」仕上げが始まる。

 

1954年

『 ジェントルアート・オブ・スモーキング』(The Gentle Art of Smoking)アルフレッド・H・ダンヒル著発刊。

 

1956年

フランスのダンヒルがスイス人と開発した「ローラ・ガスライター(Rollagas Lighter )」の発売を開始する。

1959年に最初のライター海外輸出先は日本となる。ダンヒル社にとって、日本は今でも最大のマーケットの一つであり続ける。

ダンヒルライター 初期ローラガスライター

1966年

アメリカの有名な小説家「トルーマン・カポーティ」が、ダンヒル(dunhill)でオーダーメイドしたタキシードを着用したことにより、アパレルブランドとしても注目されるようになる。

アメリカでのダンヒル関連の会社を買い戻しに成功する。

トルーマン・カポーティ

1967年

『ダンヒルたばこ紳士』(The Gentle Art of Smoking)アルフレッド・H・ダンヒル(著)、團伊玖磨(翻訳)朝日新聞社が出版。

 Carreras Ltd. (のちの RothmanInternational )と契約。ダンヒル社の株式を50%所有する事となり、さらに業績を伸ばす。

 

1969年

イギリス、エリザベス女王からブランド製品の輸出実績が評価されて表彰。 同年日本では、東京にダンヒルショップをオープンする。

 

1971年

『パイプの本』(The Pipe Book) アルフレッド・ダンヒル著、梅田晴夫(翻訳)読売新聞社が出版。

この頃ダンヒル社の輸出内訳は極東(日本がメイン)43%、ヨーロッパ39%、アメリカ15%となっている。

アルフレッド・ヘンリーが亡くなる。

 

1973年

パイプで「ドレス」「ルビーバーク」仕上げが始まる。

 

1980年

パイプで「カンバーランド」仕上げが始まる。

 

1983年

パイプで「チェスナット」仕上げが始まる。

 

1992年

「ハケットロンドン」を買収

 

1993年

ブランド100周年を迎えたダンヒルは、カルティエやスイスのIWC、ドイツのモンブランなどのラグジュアリーブランドを多数所有する、スイスのリシュモングループ(Richemont、Compagnie Financière Richemont SA)の傘下となる。

 

1995年

パイプで「アンバールート」仕上げが始まる。

 

2000年

サッカー日本代表オフィシャルスーツを提供。

サッカー日本代表 ダンヒルスーツ提供

 

2009年

ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)とコラボしたウォッチコレクション「ファセット」「クラシック」「ムーンフェイズ」の3種が発表される。

 

2012年

スーパーパティシエ辻口博啓氏を擁するル ショコラ ドゥ アッシュ(LE CHOCOLAT DE H)とコラボレーション。

ダンヒルのマスコットである「ブルドッグ」をかたどったショコラを付けた、2012バレンタイン限定商品が販売。

ダンヒル 2012バレンタイン限定商品

2013年

ジョニーウォーカーの創業者のジョン・ウォーカー(John Walker)の思想に、ダンヒルが共鳴したことで実現した、スコッチ・ウイスキー、ジョニーウォーカー(Johnnie Walker)とのコラボ・ウイスキーが発表。

アルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)によってボトルがデザインされた。

 

2016年

春・夏のコレクションとして、デリーゴヴィジョン(DE RIGO VISION)とコラボしたアイウェアコレクションを発表。

 

2017年

アンドリュー・マアグ氏がダンヒル最高経営責任者(CEO)になる。

 

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