デュポンライター過去のコレクション
中世の影から近代の光まで、イタリアのルネッサンスは西洋文明の発展の最も重要な要因だった。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム(ドゥオーモ『教会堂・大聖堂』)は1420年から1436年の間に建てられた。
エス・テー・デュポンは、イタリア・ルネサンスのこの重要な建物に敬意を表し、細部の金属工芸と巧みに細工された漆を組み合わせた、豊かで洗練された装飾を備えた建築物の限定コレクションを発表した。
この作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの数多くの芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンス文化の開花にも大きく関わってきた一族、メディチに敬意を表している。
ライン2 世界限定3,420個。
ギャッツビー 世界限定2,420個。
万年筆 世界限定1,420個。
卓上ライター・卓上時計 各世界限定420個。
メディチ家は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。
フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。
その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られている。
イタリアの古都フィレンツェは、イタリアのトスカーナ州にある人口50万人の街。ルネサンス芸術の都として有名。
トスカーナの丘に囲まれたフィレンツェは”芸術の都”と呼ばれ、街全体が”屋根のない美術館”と称されるほど貴重な美術品の数々が保管されている。
そんなフィレンツェも最初から世界的芸術都市だったわけではない。
15世紀~18世紀フィレンツェの大発展を成し遂げた華麗なる一族、それがメディチ家である。
メディチ家の歴史はこの人から始まる。1397年にローマからフィレンツェに本店を移してメディチ銀行を創設。フィレンツェの芸術分野発展に大きく関与する。政治面でも活躍。
「できるかぎり目立たぬように振る舞い、嫉妬や羨望を招かないように」という処世訓と莫大な遺産を2人の息子に残し、その成功に満ちた生涯を終える。
金融業で得た巨万の富を、学問と芸術の保護に費やした。
ギリシャ古典研究サークルを作って自ら参加したり、別荘で行われるサークルやサロンを学者・文人・芸術家達に開放したりと、彼のこうした活動が後のルネサンス文化隆盛の礎となる。
フィレンツェの芸術を語る上で絶対に外すことのできない存在。
ロレンツォはコジモの孫で、政治・学問・芸術など様々な方面で卓越した才能を持っていた。彼の時代にルネサンス文化は最盛期を迎え、多くの傑作が生み出された。
その中でも2人の天才、ミケランジェロとダ・ヴィンチの才能をいち早く見抜き、その実力を遺憾なく発揮できたのは、ロレンツォがいたからこそだと言っても過言ではない。
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